大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成元年(ネ)1556号 判決

控訴人

神林共弥

江上敬次

本多幸自

大畑新一

瀧嶋作次郎

古村喜彦

山田重治

天谷勇

星宮俊雄

長内一雄

石川巳記

佐藤正壽

日下正

鈴木忠雄

佐藤正敏

小林与平

廣瀬巖

藤本武文

川村長作

柳沢孔三

吉田省三

宮﨑福造

笹木孝

藤澤文明

滝澤善治

島貫金助

川勝広次

大平勝彦

河野幸雄

松岡美樹

樋口孫右衛門

二階堂綱男

山本俊雄

伊藤種次

伊藤キク

野呂太十郎

上野久

斎藤六郎

菅原慶吉

寺内良雄

右四〇名訴訟代理人弁護士

西田公一

山田伸男

服部弘志

江藤洋一

平野和己

藤本時義

須藤修

藤森辰博

村田珠美

被控訴人

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

小貫芳信

外七名

主文

一  本件各控訴を棄却する。

二  控訴人らの当審における新請求を棄却する。

三  控訴費用(当審における新請求に関する部分を含む。)は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決中控訴人らに関する部分を取り消す。

2  被控訴人は、原判決添付別紙原告別請求金額一覧表「番号」欄記載の番号1、3ないし12、15ないし18、21ないし24、28ないし32、34ないし36、39ないし41、44、46、47、50、53、54、56、59、60及び62の各控訴人に対し、それぞれ右一覧表の同番号に対応する「請求金額」欄記載の金員及びこれに対する同「付帯請求起算日」欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴人らの当審における新請求を棄却する。

3  控訴費用は控訴人らの負担とする。

4  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

当事者双方の主張関係は、次のとおり付加、訂正、削除するほか、原判決事実摘示中の控訴人らに関する部分のとおりであるから、これを引用する。

一  (原判決事実摘示の訂正等)

1  原判決事実欄B一頁一二行目の「降服」を「降伏」と、同一一頁一〇行目及び一一行目の各「滝島」をいずれも「瀧嶋」と、同一三頁七行目の「ベゲワード」を「ベグワード」と、同一五頁一行目の「荷酷」を「苛酷」と、同三八頁九行目の「軍使」を「軍機」と、同四八頁六行目の「解隊」を「除隊」と、同六七頁一一行目の「三一」を「三二」と、同一三行目の「用員」を「要員」と、同八六頁三行目の「大船」を「木船」と各訂正する。

2  同C二五頁五行目の「三」を「3」と、同九七頁一行目の「招集」を「召集」と、同一三六頁九行目の「規則」を「支配」と各訂正し、同一三九頁三行目の「信念」の前に「の」を加入し、同二二一頁三行目の「指令」を「司令」と訂正する。

3  同D二頁三、四行目の「ヨーロッパ、ロシア」を「ヨーロッパロシア」と、同六頁一二行目の「滝島」を「瀧嶋」と、同二〇頁末行目の「横道」を「黄道」と各訂正し、同四九頁一二行目の「自国民」の次に「捕虜」を加入し、同五〇頁二行目の「ただし」から同四行目までを削除し、同六二頁五行目の「三四条」を「二四条」と訂正し、同六四頁一二行目から同六五頁六行目までを削除し、同七行目を「(一) 第一、第二段について」と、同六六頁七行目を「(二) 第三段について」と、同六八頁一行目を「(三) 第四、第五段について」と各訂正する。

4  同七三頁四行目の「書証」を「文献」と、同一二及び一三行目を「不知」と、同七六頁一〇行目、同一二行目、同七八頁二行目、同七九頁一〇行目、同八〇頁一一行目及び同八一頁一〇行目の各「書証」をいずれも「文献」と各訂正し、同八四頁二行目を削除する。

5  同八五頁三行目の「書証の記述だけから、右書証」を「覚書」と訂正し、同九行目を削除し、同八六頁八行目、同八九頁一一行目の各「書証」、同九九頁八行目の「証書」及び同一〇一頁の九行目、同一二行目の各「書証」をいずれも「覚書」と訂正する。

6  同一四七頁四行目、同一四八頁三行目、同九行目及び一四九頁一行目の各「戦争請求法」をいずれも「戦争請求権法」と訂正する。

7  同E一頁九行目から同二頁一二行目まで及び同四頁一行目から同三行目までを各削除し、同四行目の「第五段」を「第四段」と、同六行目の「第六段」を「第五段」と、同七頁三行目の「第三段」を「第二段」と、同八五頁四行目、同八、九行目、同八七頁四行目、同八八頁二行目、同八行目、同八九頁六、七行目、同一〇行目、同九〇頁一行目及び同六行目の各「戦争請求法」をいずれも「戦争請求権法」と、同一一行目の「保障」を「補償」と、同一四三頁八行目、同一五一頁九行目、同一五七頁九行目の各「滝島」をいずれも「瀧嶋」と各訂正する。

二  その余の当審における当事者双方の主張は、本判決別冊記載のとおりである。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一当裁判所も控訴人らの本訴請求及び当審における選択的請求はいずれも理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正、削除するほか、原判決理由説示と同一(ただし、控訴人らに関する部分のみ)であるからこれを引用する(なお、ソ連は旧ソビエト社会主義共和国連邦の趣旨である。以下同じ。)。

第二(原判決の訂正等)

一(第一 ソ連抑留の概況、第二控訴人らとソ連抑留及び第三 ソ連に抑留された日本人捕虜の待遇について)

原判決理由欄二〇頁七行目の「同二四年一二月」を「戦後」と訂正し、同八行目の「復員した」の次に「(上陸及び復員の日は、弁論の全趣旨により昭和二四年一〇月であると認定できる。)」を加入し、同二二頁一行目の「上旬」を「中旬」と訂正し、同行目の「二三日」及び同八行目の「七月」を各削除し、同二三頁九行目の「九月」を「一〇月ころ」と、同二五頁四行目の「横道」を「黄道」と各訂正し、同二六頁八行目の「六月」の次に「末ころ」を加入する。

二(第四 四九年条約六六条及び六八条に基づく請求について)

原判決理由欄四二頁七行目の「及び」の前に「、成立に争いのない甲第一〇六号証」を、同四四頁一二行目の「加入し」の次に「、一九五五年五月一〇日に加入の効力を生じ」を各加入し、同五〇頁六行目の「ある」を「あり、一九五五年五月一〇日に加入の効力を生じた」と、同五二頁一〇行目の「によれば」から同一三行目の「いえ」までを「は、二条及び三条に定める場合には、紛争当事国が敵対行為又は占領の開始前又は開始後に行った批准又は加入に対し、直ちに効力を与えることを規定したにとどまり」と、同五七頁一一行目の「失効」を「執行」と各訂正し、同五八頁一二行目の「前叙一四一条の規定に照らすと」を削除する。

三(第五 国際慣習法に基づく請求について)

1  原判決理由欄六二頁六行目の「その」から同九行目の「用いている」までを「とりあえずその支払をすべきであるという原則(以下「自国民捕虜補償の原則」という。ただし、所属国が行う右支払のなかには、最終的な負担も所属国である場合もあれば、抑留国が最終的な負担者になるべきものも含まれている」と、同六三頁一〇、一一行目の「二四三」を「二四」と各訂正し、同六五頁六行目の「交戦者」の前に「収容シタル」を加入し、同六七頁一行目の「一九三三」を「一九二三」と、同七一頁一〇行目の「労働」を「労務」と各訂正し、同七三頁三行目の「協定」の次に「(以下「コペンハーゲン協定」という。)」を加入する。

2  同七七頁七行目の「四項に」を「四項の」と訂正し、同八〇頁五、六行目の「四六条」の前に「四五条、」を加入し、同八四頁二行目の「多数国間捕虜」を「コペンハーゲン」と訂正する。

3  同一〇六頁一一行目の「一六一号証」を「第一五九号証、第一六一号証、第一六二号証」と訂正し、同一二行目の「第一六六号証、」の次に「第一七〇号証、」を、同一〇七頁三行目の「及び」の前に「、乙第一一四号証」を各加入し、同末行目の「五〇〇〇」を「五〇〇」と、同一一二頁一二行目の「1一」を「1(一)」と各訂正する。

4  同一二六頁末行目の「第二号証の一、二」の次に「、成立に争いのない乙第三六号証」を、同一二七頁四行目の「帰還後に」の次に「も」を各加入し、同一三三頁七行目の「放棄」を「法規に関する法典」と訂正する。

5  同一三九頁三行目から同一四六頁三行目までを削除する。

四(第六 憲法に基づく損失補償請求について)

1  原判決理由欄一四七頁一二行目の「個人が」の次に「仮に右違反行為により何らかの具体的損害を被ったとしても、当該国際法規自体に個人の名において出訴し得ることを容認している旨の特別規定が存在するとか、あるいは相手国に対して同国の国内法における法定要件と手続に従ってその責任追及と損害の賠償を求めることにより個別的救済を図るのはともかくとして、」を加入する。

2  同一四九頁一一行目、同一五〇頁一行目、同一五二頁四行目、同六行目及び同八行目の各「ソ連法」をいずれも「ソ連国内法」と訂正する。

3  同一五三頁四行目の「被告」の前に「本件全証拠によるも、いまだ」を加入し、同五行目の「事実の存否はともかくとして」を「ものと認めるに十分でなく、また」と訂正する。

五(第七 国家賠償法一条又は不法行為に基づく損害賠償請求について)

原判決理由欄一六五頁八、九行目の「二六日」を「二七日」と、同一六六頁一行目の「認められるから」から同五行目の「日本について」までを「認められ、右によれば、我が国政府は、前記のとおり無条件降伏により連合国の占領下に置かれ、極めて制限された外交権能しか有しないという当時の状況において、不十分ながらも総司令部に種々働きかけた結果、米ソの政府間交渉や対日理事会の場で、我が国の悲願であるソ連からの日本人抑留者の早期引揚げという要求の実現に向け協議等が継続的に行われたことが認められ、その効果の点はともかく、少なくとも我が国政府が長期抑留及び強制労働を不当に放置していたとみるのは相当でなく、したがって」と各訂正する。

六(第八 安全配慮義務違反に基づく請求について)

原判決理由欄一七〇頁六行目の「知的」を「平和的」と、同一七一頁五、六行目の「ある」を「あって、国がポツダム宣言を受諾して日本人将兵に対し武装解除を命ずるにあたり、控訴人ら日本人将兵の帰還につきソ連政府と外交交渉を尽くさなかったとしても、直ちに安全配慮義務に違反したとはいえないというべきである」と、同一七三頁六行目の「有効」から同七行目までを「どの程度有効であったといえるかに関しては、にわかに断じ難いといわざるを得ず、右の点に関し、本件証拠上からは、少なくとも被控訴人に安全配慮義務違反があったと断定するに足りる立証はない。」と各訂正する。

七(第九 憲法一四条に基づく労働賃金請求について)

原判決理由欄一七三頁末行目の「オーストリア」を「オーストラリア」と、同一七五頁一行目の「事実」から同四行目の「しかしながら」までを「ことに起因しているとはいえ、終戦後も直ちに帰還できず、同じ捕虜として同様ないしはそれ以上の労苦を味わいながら、抑留中の労働賃金又はそれに相当する金員が支払われないことにつき、控訴人らシベリアからの抑留者が不公平感を抱いて本訴提起に及んだこと自体は必ずしも理解できない訳ではない。

しかしながら、弁論の全趣旨によれば、控訴人らに右金員が支払われなかったのは控訴人らが貸方残高等の証明書を所持しなかったが故であり、被控訴人において殊更控訴人らシベリアから帰還した捕虜とそれ以外の地域から帰還した日本人捕虜とを差別する意図のもとに、控訴人らの貸方残高の決済をしなかったものと認めるに足りる証拠はない。のみならず」と各訂正する。

八(第一〇 給養費の支払請求について)

原判決理由欄一七七頁八行目の「四項、五項、六項」を「三項及び四項」と、同一〇行目の「七項」を「五項」と各訂正し、同一七九頁四行目から一八〇頁四行目までを削除し、同一八一頁九行目の「兵」を「平」と訂正する。

第三控訴人らの当審における主張についての判断

一四九年条約六六条及び六八条の控訴人らに対する適用について

1  控訴人らは、まず、四九年条約の基本的な性格について、そもそも、同条約締結当時、第二次大戦の敗戦国である日本及びドイツとも連合国側の占領下にあって、いまだ戦争状態は終結していなかったものであり、第二次大戦の戦後処理という立法目的をもって作られた条約であるから、第二次大戦について適用のあることを当然の前提とするものである。日本及びソ連が四九年条約に加入した当時、いまだ日ソ共同宣言が締結されておらず、したがって、法的にみれば、両国間においては第二次大戦の戦争状態が継続していたのであるから、同条約一四一条の規定によれば、第二次大戦の結果につき同条約が適用されるものというべきであり、仮に加入前に発生した事実には適用されないとしても、捕虜たる身分はその解放や送還により一応終了するとしても、抑留の結果として生じた捕虜の諸々の権利まで消滅することはないし、また、これに対応し、捕虜の抑留に伴う当事国の権利義務が捕虜の帰還によって消滅することもないから、四九年条約が日ソ間で発効した当時、すでに本国に送還され、捕虜たる身分を終了していたからといって、同条約の適用を受けないとはいえないなどと主張する。

(一) そこで、まず、四九年条約の成立した背景等について考えるに、先に認定した戦争及び捕虜に関する国際法規の変遷等からも明らかなように、捕虜の待遇に関する国際法の生成の萌芽は、すでに一八世紀に遡ることができ、本格的な条約としては、一九世紀後半の第一回万国平和会議において採択された「陸戦の法規慣例に関する条約」及び同付属文書である「陸戦の法規慣例規則」が存在し、その後、各国家間の国内事情等に応じて個別的な取決めがなされてきたほか、第一次大戦とその後に成立した二九年条約を経て、更に第二次大戦における経験等を踏まえて従前の捕虜法規の規定上の不備や適用上の問題点が種々指摘され、前記各条約の見直しと改正の機運が高まり、赤十字国際委員会が中心となって改正作業が鋭意進められ、各国の協議の結果が四九年条約に結実したという経緯があり、四九年条約は、人類の長い歴史とともに何度となく繰り返されてきた戦争という人類にとって最も不幸な権力闘争とそれに伴って不可避的に発生する数知れない損失と悲劇に対する真摯な反省の下に、戦争による災禍をできるだけ最小限に食い止めるべく、人類の英知を傾け、様々な試行錯誤を経て生成・発展してきた捕虜法制の一応の成果といっても過言ではない。

したがって、右の捕虜法制の変遷等に照らすと、四九年条約は、控訴人らの主張するように、単に第二次大戦の戦後処理という立法目的の下に締結されたものとみるのは相当でなく、むしろ戦争の規模、参加人員、被害額等いずれの点からみても過去に類例のない大規模かつ全面的な戦争であった第二次大戦における経験を踏まえて、従来の捕虜法制の不備、欠陥や問題点等を洗い直したうえ、これを是正し、より完全なものとするため、各国が真剣な協議を重ねた末、成立をみるに至ったものというべく、他に条約の成立経過等をみても同条約が第二次大戦の結果等に遡及して適用されることを当然の前提としたものと認めるに足りる証拠もないから、右主張は採用できない。

(二) 次に、四九年条約一四一条の規定の意義について検討するに、右のような経過を経て成立した四九年条約は、条約としての効力の発生の時期について、一三八条において「この条約は、二以上の批准書が寄託された後六か月で効力を生ずる。その後は、この条約は、各締約国についてその批准書の寄託の後六か月で効力を生ずる。」と定め、また、一三九条において「この条約は、その効力発生の日から、この条約に署名しなかったすべての国に対し、その加入のため開放される。」と規定し、同条約が人道法的な性格を有する条約であることから、広く全世界の国々にも参加を呼びかける、いわゆる開放条約であることを宣明する一方、同条約の非署名国ができる限り速やかに加入できるようにするため、条約の効力の発生に必要とする批准の数を二か国としたものである。

もっとも、同条約は、従前の取扱いとは異なる新しい制度や施策を創設しており、そのため条約の批准国ないし加入国が右施策等を実現するには、更に立法上、行政上の各種の国内的措置を講ずるなどの具体的な対応が必要となることから、批准書の寄託又は加入通告書の受領の日から同条約が各締約国又は加入国についてその効力が発生するまでに六か月間の経過期間を置くこととしたものである。

ところが、四九年条約二条、三条は、先にみたとおり、同条約の適用範囲について、平時に実施すべき規定のほかは、宣言された戦争又はその他の武力紛争の場合、あるいは締約国の一の領域内に生ずる国際的性質を有しない武力紛争の場合等において適用されると定めているところ、すでに現に戦争ないしは武力紛争の状態にある当事国が新たに四九年条約に加入して同条約の定める規定や利益等を享受しようとしても、前記のとおり同条約が各締約国について効力を生じるためには、批准又は加入後六か月間の猶予期間が設定されている関係で、直ちに同条約の恩恵等を享有できないという不都合が生じることになる。

そこで、右の事態を回避するため、同条約一四一条は、「第二条及び第三条に定める状態は、紛争当事国が敵対行為又は占領の開始前又は開始後に行った批准又は加入に対し、直ちに効力を与えるものとする。スイス連邦政府は、紛争当事国から受領した批准書又は加入通告書について最もすみやかな方法で通知しなければならない。」と規定し、すでに当事国において敵対行為又は占領が開始されているときは、批准書の寄託又は加入通告書の受領の日から、また、批准書の寄託又は加入通告書の受領がなされながら、いまだ前記猶予期間が経過する前に、敵対行為又は占領が開始されたときは、その時点において、直ちに条約の効力が発生することとし、スイス連邦政府は、事態の緊急性にかんがみ、当事国及び関係国が速やかに適応できるようにするため、同条約一三七条二項所定の通常の方法によることなく、適宜の方法により最も速やかに各締約国に通知しなければならないとしたものである。

そうすると、四九年条約一四一条をもって、同条約が第二次大戦の結果及びこれに基づく事実に適用されることを認めたものとする控訴人らの主張は理由がないというべきである。

また、控訴人らは、四九年条約一三四条及び一三五条の規定を根拠に四九年条約加入前に発生した戦時捕虜につき同条約六六条及び六八条の適用を受け得ると主張する。

しかしながら、四九年条約一三四条は、四九年条約成立後における二九年条約の地位を示すものにすぎないところ、我が国もソ連も二九年条約を批准していないのみならず、四九年条約一三四条の規定が二九年条約の締約国に対し、四九年条約の締結前に同条約の拘束力が及ぶことを定めたものでないことはその文言に照らし明らかである。

更に四九年条約一三五条は、一八九九年又は一九〇七年の陸戦の法規慣例に関する条約と四九年条約の両条約に拘束されている国につき、四九年条約に含まれていないヘーグ陸戦規則第二章の規定は依然有効であることを規定するものにすぎない。したがって、控訴人らの右主張はいずれも理由がない。

なお、控訴人らは、捕虜たる身分はその解放や送還により一応終了するとしても、抑留の結果として生じた捕虜の権利関係や捕虜の抑留に伴う当事国(抑留国及び捕虜所属国)の権利義務が当然に消滅することはないのであるから、四九年条約が日ソ間で発効した当時、すでに本国に送還され捕虜たる身分が終了していたからといって、そのことが同条約の適用除外事由には当たらないと主張する。

しかしながら、四九年条約が日ソ間において発効する以前に捕虜となってソ連に抑留され、その抑留期間中に生起した事実関係に基づいて捕虜がいかなる権利義務を具体的に取得するのか、また、捕虜が解放ないし送還により捕虜たる身分を喪失したことに伴い、すでに発生している権利義務関係の処理やその法的地位の帰趨如何等に関する問題は、専ら抑留当時あるいは捕虜たる身分を喪失した時点において有効であった条約その他の法令等により規律されるのが原則であり、右の法律関係の処理等に関して特段の定めがなされているのであればともかく、かかる明文の規定がない限りは、その後成立した条約や法令等の定めに従って右法律関係が処理されることはあり得ないものというべきである。

そして、四九年条約が、その効力発生前に捕虜たる身分を喪失した者の権利義務関係の処理や法的地位の帰趨に関して特に明文の規定を置いていなかったことは先に判断したとおりであり、そうすると、同一の戦争又は武力紛争における捕虜でありながら、送還の時期が条約の発効時期の先後によって異なった取扱いを受けるという結果を招来することとなるけれども、右の点に関して条約中に特段の定めをしなかった以上、やむを得ないというほかなく、いずれにしても控訴人らの右主張も結局理由がない。

2  控訴人二階堂関係について

控訴人らは、控訴人二階堂は、我が国及びソ連が四九年条約に加入したことにより両国間につき同条約が発効した後である昭和三一年一一月に帰国しているのであるから、少なくとも同控訴人の関係では、四九年条約が適用されること、仮に、同控訴人が抑留期間中、スパイ罪の容疑でソ連国内法により有罪判決を受けていたとしても、右はもともと冤罪であるのみならず、ソ連が四九年条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した戦争犯罪には該当しないし、更に、その後右有罪判決は結局破棄され、本人の無罪と名誉回復の措置が講じられているのであるから、同控訴人については、四九年条約が適用されるものというべきであると主張する。

(一) 控訴人二階堂が、昭和二三年八月までチタ地区の収容所で強制労働に従事させられていたが、同年九月未決拘置所の独房に入れられ、満州国警察官時代の状況及びスパイ容疑について取調べを受けた後、同二四年二月スパイ容疑のもとにロシア共和国刑法五八条に基づき、矯正労働二五年の刑を宣告され、以後囚人として囚人ラーゲリに入れられ、労働に従事していたことは先に認定したとおりであるところ、控訴人二階堂がソ連に抑留されていた期間のうち、少なくとも昭和二五年から同控訴人が本国に帰還した昭和三一年までの間は、実際のソ連当局の同控訴人に対する取扱の実情はともかくとして、あくまでロシア共和国刑法五八条のスパイ罪により有罪判決を受けた囚人たる地位にあったことは明らかであり(したがって、四九年条約が日ソ間で効力を生じた後捕虜として抑留された期間はない。)、そうすると、他に特段の事情がない限り、同控訴人は、ソ連が四九年条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した「ニュールンベルグ裁判の諸原則に従って、戦争犯罪及び人道に対する罪で有罪とされた捕虜」に該当するものというべきである。

控訴人らは、控訴人二階堂に課せられた容疑であるスパイ罪は、ソ連が留保を付した戦争犯罪等には当たらないと主張するかのようであるが、右のスパイ罪の内容等からみて明らかに右の戦争犯罪等の要件に該当しないものであるとか、同控訴人に関しては特に四九年条約八五条に付した留保を除外し、同条約の適用を認める旨宣明したような事跡も窺われないし、また、これを認めるに足りる証拠も全くない(仮に、受刑中の控訴人二階堂を一般の捕虜と同様に取り扱った時期があったとしても、それは、ソ連当局の受刑者に対する処遇方法及び内容等に関する問題にすぎず、そのことから、控訴人二階堂に限って、特に四九年条約を適用する旨表明したものとみることもできない。)。

(二) ところで、〈書証番号略〉によれば、控訴人二階堂は、平成三年三月三日、ソ連邦検察局に対し、前記スパイ罪による二五年の矯正労働の判決が冤罪であるとしてその取消しを求める再審の請求をした事実が認められ、更に控訴人らは、同年五月一六日付けでソ連邦軍検察総局名誉回復部から「ソ連邦最高会議幹部会の「一九三〇、四〇、五〇年代に行われた弾圧の犠牲者に対する正義回復の追加措置に関する」命令一条に従い、控訴人二階堂のスパイ活動による法廷外有罪判決は破棄され、本人の無罪と名誉回復がなされたものと認める。」旨記載された文書(〈書証番号略〉)を提出している。

しかし、仮に、控訴人二階堂がソ連に対し、右有罪判決について再審請求をした結果、同判決は破棄され、本人の無罪と名誉回復の措置がとられたとしても、そのことにより、四九年条約が遡って同控訴人について適用される余地はないというべきである。すなわち、四九年条約は、捕虜法制の歴史的変遷やその意義等を踏まえ、捕虜の権利と利益を尊重・擁護し、その地位と待遇の向上を図るため、捕虜の捕虜国及び抑留国のみならず、捕虜所属国に対しても種々の義務を課しているところ、右は、事柄の性質上、原則として、捕虜たる地位にある者に対し、その抑留期間中に適用されることを当然の前提としているものである。したがって、同条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した戦争犯罪等に該当するとして有罪判決を受けたことにより一旦同条約の適用を除外された者が、その後再審により右有罪判決が破棄されたとしても、特段の定めもないのに、当然に遡って同条約が適用されると解するのは、条約の安定性及び実効性の観点からも相当でないというべきである。

そうすると、仮に控訴人らの主張するように、控訴人二階堂が再審請求により無罪となったとしても、当然に四九年条約が遡って同控訴人に適用されると解することはできないというべきである。

(三) 以上によれば、控訴人二階堂について四九年条約が適用されると主張する控訴人らの主張も、結局採用の限りではないというほかない。

二国際慣習法に基づく請求について

1  国際慣習法の意義

国際慣習法は、国際社会の構成員間で行われる特定の国家実行の積み重ね、いわゆる国家間の国際慣行を基礎として形成された国際法規範であり、同じく国際法の法源でありながら、原則として合意した当事国のみを拘束する成文国際法である条約に対して、その妥当範囲が国際社会全体に及ぶことから、講学上の普遍的国際法又は一般国際法と呼ばれている。

国際慣習法も条約と同様、国際社会において一般的に妥当する法形式の一つである以上、単に特定の事項について大多数の国家間に一定の国際的な慣行が成立していると認められるだけでは足りず、更に右の慣行につき、主要な国家を含んだ大多数の国家において法的に義務的なものとの信念が介在していることによって初めて国際法規範として法的拘束力を取得するに至るものというべきである。

ところで、国際慣習法と条約とは、前記のとおりいずれも国際法の主要な法源であるが、歴史的にみれば、国内法体系とは異なり、超国家的な政治権力の存在を前提とした強制力の行使が期待できない国際社会においては、関係当事国間の明示の合意によって初めて成立する条約よりも、むしろ国際社会の中で長年にわたり営々と積み重ねられ、かつ、多数の国家による法的な確信に裏付けられて成立した国際慣習法がより重要な役割を果たしてきたものといっても過言ではない。

しかしながら、国際社会の高度化・緊密化に伴って、本来締約国のみを拘束するはずの条約の諸規定が、有力な国家により繰り返し履行されることにより、非締約国間においても暗黙のうちに規範的なものと意識され履行されることにより右規定の一部が国際慣習法化することもままあり、また、条約に比べてその成立時期、内容、拘束力の妥当範囲等の点で不明確ないし争いの生じ易い国際慣習法について、第二次大戦後、国連の国際法委員会による「法典化」作業が行われた結果もあって、既存の条約のなかには、新たに創設された規定のほか、すでに成立している国際慣習法が法典化されたものも多くある。

そこで、まず、四九年条約六六条及び六八条が、控訴人らの主張する国際慣習法(自国民捕虜補償の原則)を法典化したものかどうかについて、同条文の成立経過からみてみることとする。

2  四九年条約六六条及び六八条の成立経過について

前記認定事実のほか、〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一) 赤十字国際委員会は、第二次大戦を通じ、二九年条約にはその解釈及び適用上いくつかの不備な点があることが判明したことから、戦争終結後に同条約の改正作業に着手することとなり、一九四六年七月二六日から同年八月三日までの間、ジュネーブにおいて世界五〇か国の赤十字社の代表を招集して「条約並びに赤十字に関連する問題の研究のための各国赤十字社の予備会議」を開催し、今後特に取り上げるべき問題点につき協議をしたほか、翌四七年四月一四日から同月二六日までの間、ジュネーブにおいて「戦争犠牲者の保護に関する諸条約の検討のための政府専門家会議」を開催したところ、同会議には一五か国の政府の代表が出席し、赤十字国際委員会の提出した改正案や各国の用意した草案につき活発な意見交換が行われたが、その際、赤十字国際委員会は、捕虜が抑留中に労働災害等を被った場合に、抑留国が自国の労働者と同一の利益を与える旨規定していた二九年条約二七条四項の規定が実際の適用上問題があるとして、右規定を削除し、新たに捕虜の所属国において補償すべきことを定めた次の内容の規定の新設を提案した。

「使役され、その労働から生じた災害又は病気の罹災者たる捕虜に対しては、その健康状態が要求するあらゆる手当てを施さなければならない。更に当該捕虜に対しては、帰還後にかかる権利の承認を得ることができるように、診断書を発給しなければならない。この診断書の写しは、赤十字国際委員会を通じて捕虜の本国政府に送達しなければならない。」こと、また、労働災害のために労働能力を喪失した捕虜に対しては、健康回復又は帰還まで俸給の半額を与え続けなければならないとの提案をした。これに対し、ある代表は、本条約が捕虜とその捕虜所属国との間の関係について触れるものではない、との理由で反対した。また、仮に抑留国が捕虜に一定限度の現金の所持を認めなければならないとの原則が認められるならば、労働災害を被った捕虜に対し、その俸給の半額を与えなければならないとの規定は不要であるとの意見もあった。

(二) 赤十字国際委員会は、右各会議等における協議内容を踏まえ、その後更に各国の政府専門家や赤十字社及びその他の人道諸団体の援助と協力のもとに検討を重ねた結果、一九四八年五月ころ一応草案としての形が整ったことから、同年八月、ストックホルムにおいて開催された第一七回赤十字国際会議において、「戦争犠牲者の保護のための改正草案又は新条約」として提出し、若干の修正を経たうえで採択された。

なお、右草案のうち「捕虜の待遇に関する条約草案」(なお、前記各草案を総合してストックホルム草案というのが通例であるが、本件では特に断らない限り、以下右草案を「ストックホルム草案」という。)によれば、捕虜が抑留中に被った労働災害に対し、捕虜の所属国が円滑にその補償を実施できるよう便宜を図るため、同草案四五条二項後段において「抑留国は、更に、捕虜に対し、その者が属する国に請求することができるように診断書を発給し、また、その写し一通を中央捕虜情報局に送付しなければならない。」と定めるとともに、捕虜の抑留中の貸方残高の決済に関しては、同草案五六条において「捕虜が死亡した場合、その貸方残高を証明する文書をその所属国に送付しなければならない。敵対行為中に、捕虜が帰還する場合も同様とする。かかる文書の写しは帰還者に交付されなければならない。敵対行為終了後、解放され帰還する捕虜の貸方残高の清算に関し、関係当時国間に特別協定が成立しなかったときは、かかる残高は、抑留国から同人に対し現金で支払われなければならない。」と規定し、捕虜解放の際の貸方残高支払については、抑留国と捕虜所属国との間に特別の協定がない場合、抑留国が責任を負うとの前提に立っていた。

(三) 右の経過を経て、スイス連邦政府は、一九四九年四月二一日、ジュネーブにおいて外交会議を招集したが、同会議では、四つの主要な委員会のほか、それに付随して各種の委員会が設けられ、それぞれ各条約案の作成、検討作業に着手した。ストックホルム草案を土台にした捕虜の待遇に関する条約改正案の審議を担当していた第二委員会では、同年五月二日に開催された第六回会合において、ストックホルム草案のうち本質的な意見の不一致があった条文及びイギリス、オーストリア代表団の各修正案等を検討するため、オーストリア、ベルギー等一八か国及び赤十字国際委員会の代表(専門家)をメンバーとする特別委員会を設置することを決めたが、同特別委員会は、更に若干の特に困難な問題点及び技術的問題点を作業団又は専門家グループで議論すべきであると考え、同年六月二日、捕虜の金銭問題を規定する条文(四九条ないし五七条A)について、ベルギー、カナダ、アメリカ、フランス、イタリア、イギリス、ソ連の七か国の代表のほか、赤十字国際委員会の代表が専門家として参加した会計専門家委員会に付託されて更に検討されることになり、同委員会は前後一〇回会合を開いた。

(四) 第二委員会の会計専門家委員会における協議の経過、内容の概要は次のとおりであった。

(1) 一九四九年六月七日に開催された第一回会合において、イギリス代表は、同国の修正案は、ストックホルム会議で採択されたテキストの実質になんら変更を加えるものではなく、単に形式上のものであると述べた。その目的は、重複を避け、これまで別の条項の中に分散していた同種同系統の規定をまとめ、第四部に、より論理的脈絡をつけることにあった。

(2) 一九四九年六月二二日に開催された第八回会合において、カナダ代表より、解決されるべき実務上の問題点として、敵対行為終了後に帰還する捕虜にとっては、抑留中の貸方残高の支払方法について、解放時には残高証明書の交付のみを受け、帰国後に所属国から支払を受けるのと、抑留国の通貨で支払を受けるのといずれが利益であるかという点について問題提起がなされ、引き続き両者の是非を巡って討議が行われたが、一部には、右のいずれの方法を採用するも、結局は、捕虜所属国が捕虜の貸方残高を支払う(抑留国通貨による支払の場合にはその換金を認める)意思があるかどうかにかかっているものであって、支払方法如何は特に問題ではないとの意見もあった。

(3) 一九四九年六月二三日に開催された第九回会合において、前回に引き続き捕虜の貸方残高の支払方法に関して討議が行われた。まず、イタリアとイギリスの各代表は、外貨の輸出入に関して大多数の国が課している制限は、捕虜が貸方残高を現金で支払われた場合には、種々の困難を来すであろうことを指摘した。さらに、現金による支払は、本国政府の犠牲において通貨の不正取引をなす結果となるかも知れないことが指摘された。また、ソ連代表は、右の問題解決は捕虜所属国の手に委ねられているものであり、仮に当該国が捕虜であった自国民に対し補償をなす用意があるのであれば、同人が他国通貨をもっているか、或いは貸方票をもっているかを問わず、補償をなすであろうから、ストックホルム草案で事足りるとの意見を表明した。その理由として、交戦国に特別協定を結ぶ余地を残している点を指摘した。アメリカ代表は、ストックホルム草案に賛意を表し、条約の目的は、政府の利益よりむしろ捕虜の利益の保護を確保することにあると指摘した。

赤十字国際委員会の専門家委員は、問題の実体に触れずに、見解の相違を調整するとして、かつ、ストックホルム草案が採択された場合には、捕虜が受領すべき総額を証明する文書の交付を受けるべき旨定めた条項により、それが敷衍されるであろうことを示唆した。その後、議長が、現金支払に代えて証明書を発行するという原則の採択を票決に付したところ、三対二で右原則が採択された。

続いて、イギリス代表は、同代表団の修正案の範囲について、同案はとりわけ送還のすべての場合を網羅しており、かつ、抑留国の権限ある将校の署名した文書を発行するという原則を導入するのであるから、それはストックホルム草案よりも包括的であって、同案は、五六条を取り替えることを意図したものであるとし、イタリア代表団の希望を入れるべく、修正案の第2項を以下のような条項にすべきことを提案した。

「捕虜が軍務に服する国は、抑留国が捕虜に支払うべき、かつ、五一条及び五一条Aにおいて言及される金額を考慮することができる。」

同修正案について一般的な議論を行った後、同案を条文毎に票決する旨の議長の提案が採択され、ストックホルム草案五六条一、二項を同修正案一項一文に、同草案三項を同修正案一項二文にそれぞれ置き換える案がそれぞれ四対三で採択された。次に、イギリス代表団から、同条項に「本条のすべての規定は紛争当事国の特定協定によって変更することができる」との条項を付加することが提案され、満場一致で採択された。

以上の結果、ストックホルム草案五六条は、次のとおり修正された。

「捕虜たる身分が解放又は送還によって終了したときは、抑留国は捕虜たる身分が終了したときにおける捕虜の貸方残高を示す証明書で、抑留国の権限ある将校が署名したものを捕虜に交付しなければならない。抑留国は、また、捕虜が属する国に対し、利益保護国を通じ、送還、解放、死亡、その他の事由で捕虜たる身分が終了したすべての捕虜に関する細目及びこれらの捕虜の貸方残高を示す表を送付しなければならない。敵対行為中に、捕虜が帰還する場合も同様とする。かかる文書の写しは帰還者に交付されなければならない。この表は、一枚ごとに抑留国の権限ある代表者が証明しなければならない。本条のすべての規定は紛争当事国の特別協定によって変更することができる。」

引き続き、イギリス代表により同代表団が提案した修正案五七条Aの説明がなされた。

(4) 一九四九年六月二九日に開催された第一〇回会合において、イギリス代表は、同代表団の修正案五七条Aの第2項の一文と二文の間に、「ただし、個人用品で捕虜が捕虜たる身分にある間その使用を必要とするものについては、抑留国がその費用で現物補償しなければならない。」との提案があった。

(五) 第二委員会の会計専門家委員会から同特別委員会に対する一九四九年七月一日付け報告書によれば、同委員会案は、ストックホルム草案の四九条ないし五七条Aの規定について更に個別的に検討を加え、より完成させたものであること、同五七条Aはイギリス代表団の修正案を骨子とした新たな規定であり、捕虜所属国が捕虜の補償請求に応じなければならないとする原則を定めた四五条の規定をより一層一般的な形態で確認したものであり、かつ、同原則を捕虜の財産が没収された場合にも適用するものであること、更に、抑留国は、必要がある場合、請求の正確さを証明しなければならないとしたものである。

(六) 一九四九年七月五日に開催された第二委員会(特別委員会)の第二五回会合において、赤十字国際委員会の代表は、草案五六条二項に替えて新たな案文を提案したが、採択されるに至らず、結局同項に付加して「捕虜の所属する国は、捕虜の拘束が終了するに際し、抑留国から捕虜に支払われるべき貸方残高について、当該捕虜に対し決済する責任を負う。」とのイギリスの修正案が票決に付され、七対六で採決された。

(七) 一九四九年七月一二日に開催された第二委員会の第三〇回会合において、同特別委員会の提案した四九年条約六六条の原案である五六条及び同条約六八条の原案である五七条Aが票決に付され、反対もなく採決された。

そして、第二委員会が起草し、調整委員会の勧告を考慮し、更に起草委員会によって改定された捕虜の待遇に関する条約草案は、同年八月一二日、外交会議の全体会議において、一七か国の代表が署名し、ここに四九年条約が成立した。

(八) なお、第二委員会のジュネーブ外交会議全体会議に対する報告によれば、いくつかの代表団は、貸方残高の一部が、抑留国が捕虜に支払うべき労働賃金に由来するとの理由から抑留国と捕虜所属国とが貸方勘定の衡平な支払に対して共同して責任を負うべきであるとする案を提出した。

また、五七条Aは、より一般的な形態において、且つ殊に捕虜の財産上の損害を補填することにまで及ぼして、四五条に含まれている労働中の事故の補償の請求についての原則を定めたものである。

以上の事実が認められ、右認定にかかる四九年条約六六条及び六八条の制定経緯等を検討するも、控訴人らの主張する自国民捕虜補償の原則が当時専門家会議や外交会議等に参加した関係国家において、すでに一般慣行化していたとか、法的必要信念ないし法的確信をもって実効されていたものとまで認めるのは困難である。

3  控訴人らは、捕虜に関する諸条約中に繰り返し述べられるところの「捕虜は人道をもって取り扱われるべし」との文言や捕虜法制の歴史から、捕虜の待遇等に関する取決め等については、概ねすでに成立している国際慣習法を法典化したものであり、四九年条約も同様である旨主張する。

なるほど、先にみてきたとおり、古代から中世までは、いまだ捕虜という明確な概念は存在せず、戦争の敗者は、常に勝者のいわば戦利品として奴隷的な取扱いを受けてきたものであり、そこにはおよそ一個の人間として遇されることはなかった。その後近代における人権思想の萌芽・発展に伴い、捕虜も結局は国家間における戦争の犠牲者にすぎないという認識の下に、一九世紀以降、捕虜に対する捕獲国や抑留国の主権の行使を制限し、積極的に捕虜としての法的地位を承認するとともに、捕虜の保護・援助に向けて国際会議等でも活発な議論が展開され、また、赤十字国際委員会等を中心として捕虜の権利・地位に関する条約や取決めを締結しようとする動き(いわゆる法典化作業)が盛んとなり、その結果として、捕虜の地位全般に関する最初の国際的な取決めとして、一八九九年及び一九〇七年の二回にわたり作成・改正された「陸戦の法規慣例に関する条約」及びその付属規則一七か条に結実するに至ったものである。

もっとも、捕虜に対する処遇方法や付与すべき権利・利益等の具体的な内容に関しては、当然のことながら、歴史の発展とともに、次第に拡充・強化されてきたものであり、少なくとも、現段階において、捕虜の基本的人権に係わる事柄、例えば、捕虜は捕獲した個人又は部隊ではなく、あくまで敵国の権内に属すること、捕虜に対する報復の禁止、抑留中は一個の人間として保護・尊重されるべきこと、捕虜に対する衣料や食料等の給養、不健康又は危険等の不適当労働の禁止、捕虜収容所の衛生の確保等に関するものについては、抑留国が当然なすべき義務の一つとして国際慣習法化されていることは一般に承認されている。

しかしながら、我が国を始め主要な世界各国における自国民捕虜の補償に関する制度を通観した結果を総合しても、控訴人らがシベリアに抑留されていた当時、すでに控訴人らの主張する自国民捕虜補償に関する一般慣行及び法的確信の要件が具備され、国際慣習法として成立していたと認めるのは困難というほかない。

4  外務省調書について

控訴人らは、被控訴人自らが四九年条約が日ソ間において条約として発効していない時期に、すでに第二次大戦の結果ソ連の捕虜となった日本人に適用されるべきであり、少なくとも同条約が国際慣習法を明確にしたものであるとの認識に立って行動していたと主張し、その立証として外務省調書なる書証(〈書証番号略〉)を提出しているところ、被控訴人は、右主張及び同書証の成立を争っている。

ところで、〈書証番号略〉を検するに、同書証は一九五〇年四月一日付けの「在ソ日本人捕虜の処遇と一九四九年八月一二日のジュネーブ条約との関係」と題する書面であって外務省の用紙を利用して作成されていることや、その内容等に徴すると、当時外務省と関係のある者によって作成された文書であることは一応推認することができるとしても、文書の形式等からみて外務省が正式に作成した公文書であるとはいえないし、また、その内容は、我が国が無条件降伏をして敗戦が確定して数年が経過するも、なお三七万余名の日本兵が引揚未了の状態にあり、しかもその大半はソ連地域及び中共地域で捕虜として苛酷な労働を課せられており、これまで数万名の死者を出すなど社会的、政治的に重要な問題に発展しつつあり、日本政府がソ連政府に強く未引揚者の早期帰還を勧告している実情の紹介から、参議院における在外同胞引揚問題に関する特別委員会における証人の証言等や関係者の事情聴取等を踏まえて、ソ連に滞在中の人員の具体的な数値を推測したり、捕虜収容所の設備、同所における衣食住や日常生活の実体、労働作業の内容等を明らかにし、ソ連当局の捕虜に対する処遇や取扱いが四九年条約の定めに照らしても、明白に国際法規等に違反していることを指弾する一方、捕虜に関する国際法規の変遷を概観し、末尾に人権に関する世界宣言の全文を掲げたうえ、最後に四九年条約が「捕虜に関する国際慣習を闌明し且つ詳細な諸点を明確にしたもので、いやしくも捕虜を捕らえた国は本条約の原則を無視することは許されない。公正な国際的機関による調査が一日も速やかに行われるよう切望する。」と結んでいるけれども、右書証の記載内容からみても〈書証番号略〉をもって直ちに、控訴人らが主張するように、日本政府が四九年条約の遡及的適用を認めたとか、同条約六六条及び六八条の規定が国際慣習法を法典化したものであることを容認していたことの証左であると断じるのはいささか困難であるというほかない。

5  国際法の国内的効力及び国内適用可能性について

仮に控訴人らの主張を前提とし、四九年条約六六条及び六八条が控訴人らに適用され、あるいはこれと同趣旨の国際慣習法が成立していると仮定した場合においても、国内の直接適用が可能であるか、あるいは国内立法等がなければ国内の直接適用はできないか、すなわち、個々の国民が右国際法を直接の法的根拠として、当然に具体的な権利ないし法的地位を主張したり、あるいは国内の司法裁判所が、国家と国民あるいは国民相互間の法的紛争を解決するにあたり、右国際法を直接適用して結論を導くことが可能であるかどうかという国際法の国内適用可能性の有無の問題は、別途検討する必要がある。

我が国では、所定の公布手続を了した条約及び国際慣習法は、他に特段の立法措置を講ずるまでもなく、当然に国内的効力を承認しているものと解されるところ、国内的効力が認められた国際法規(条約のほか、国際慣習法をも含む。)が国内において適用可能か否かの判断基準について考えるに、まず、当然のことながら条約締結国の具体的な意思如何が重要な要素となることはもとより、規定内容が明確でなければならない。殊に国家に一定の作為義務を課したり、国費の支出を伴うような場合あるいはすでに国内において同種の制度が存在しているときには、右制度との整合性等をも十分考慮しなければならず、したがって、内容がより明確かつ明瞭になっていることが必要となる。また、国際慣習法は、条約とは異なり、不文法たる性格上、その内容は極めて一般的かつ抽象的であるうえ、歴史的にみると、その大部分が国家間の権利義務関係を規律する場合が多かったこともあって、これまで国際慣習法については特にその国内適用可能性が問題となる例は少なかった。したがって、直接個々の国民の権利・利益を規律する場合においても、すでに国内法として存在する規定を一部補充・変更したり、特則を設ける程度のものであればともかく、権利の発生、存続及び消滅等に関する実体的要件や権利の行使等についての手続要件、更には国内における既存の各種の制度との整合性等細部にわたり詳密に規定されていない場合には、その国内適用可能性は否定せざるを得ないものというべきである。

右の見地に立って、四九年条約の六六条及び六八条の各規定及びこれと内容の同旨の国際慣習法(自国民捕虜補償の原則)の国内適用可能性の有無について検討するに、同条約の締結国の主観的な意思はともかくとしても、同条項においては、補償の対象者、補償の内容、方法及び期間等について、その内容が明確かつ明瞭となっていないし、また、すでに詳細にみてきたとおり、第二次大戦以前から、世界各国においては、それぞれ自国の軍人に対する各種の年金や手当て、災害補償等の諸制度を設置し、それぞれの国情に応じて実行してきているところ、右の諸制度の整合性等が全く明らかでないこと等からすると、仮に、四九年条約六六条及び六八条が控訴人らに適用され、あるいは右条文と同旨の内容の国際慣習法が、第二次大戦終結時、ないしは遅くとも控訴人らがシベリアに抑留されていた当時、すでに成立していたとしても、控訴人らが、直接右条文ないし国際慣習法に基づき、被控訴人に対して補償請求することはできないものというべきである。

そうすると、控訴人らの四九年条約六六条及び六八条又は国際慣習法に基づく損害賠償等の請求は、いずれの点からみても理由がないといわなければならない。

三憲法二九条三項等に基づく請求について

1  控訴人らは、終戦当時軍人・軍属の地位にあった控訴人らは、日本国政府の命令に従って武装解除した後、ソ連軍によって捕虜としてシベリアに後送され、戦後の平和復興期に長期にわたり厳寒の地において、我が国の役務賠償の一環としてソ連の国力回復のために筆舌に尽くしがたい苛酷な強制労働を課せられ、その後本国に帰還した後も社会的に様々な不利益を受けたり、後遺症に悩まされ、社会復帰も大幅に遅れるなど有形無形の甚大な損害を被ったものであって、一般的な戦争損害とは同列に論じられないこと、また、そもそも近代以降の国際社会は、過去の戦争という非常事態が起きる度に繰り返される悲惨な戦争損害をできるだけ回避すべく、戦争行為のルール化を目指してきたものであって、特に捕虜の地位の向上や待遇の改善等に関する分野の法典化作業には著しい進展がみられ、かかる戦争状態に関する国際法規の発展の経緯等に照らすと、控訴人らシベリア抑留者の受けた精神的、肉体的及び経済的損失や犠牲を国民各層が等しく受忍すべき戦争損害の一つであるとして補償を要しないものとすることは許されないものであると主張する。

控訴人らを含むシベリア抑留者は、我が国がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしたことにより、終戦直後、敗戦国の軍人、軍属としてソ連軍の捕虜となり、いずれもソ連各地の収容所等にそれぞれ後送され、その後長期間にわたり、満足な食料も与えられず、粗末な住環境のなかで苛酷な強制労働に従事させられ、その間筆舌に尽くしがたい辛苦を味わされ、その結果、抑留者のうち数万名という尊い人命が失われたほか、幸い祖国に帰還した後も、身体に重い障害を残して肉体的苦痛に苛まれ、あるいはシベリア帰りとして、いわれなき差別を受けて社会復帰にも大きな影響を受けるなど、数々の社会的・経済的な損失を被ってきたことは先に認定したとおりであり、自己の自由意思とは全く無関係に国家の遂行した戦争に参画させられたうえ、多種・多様な物的あるいは精神的損害を被ったことにつき、国に対して何らかの補償措置を要求する控訴人らの心情には理解できない点がない訳ではないし、また、戦争法に関する国際法規の発展の経緯、殊に一九世紀以降の捕虜の地位や待遇の改善・向上に関して目覚ましい進展がみられることは、控訴人らの指摘するとおりである。

ところで、いわゆる「戦争損害」とは、一般には、軍人・軍属として戦場における戦闘行為等に参加することにより不可避的に発生する生命侵害や身体の損傷、私有財産等の喪失のほか、戦闘行為には直接参加していないものの、一般国民が敵国軍の焦土作戦に基づく空襲や砲撃等の犠牲となって死亡したり、重大な傷害を受け、あるいは個人所有の家屋敷や家財道具等を焼失・奪取されることに伴う各般の戦災等を指称し、多かれ少なかれ国民各層が直接・間接に参加する戦争といういわば国家の存亡にかかわる非常事態下において発生した損害というべく、その性質上、国民全体が等しく負担すべきものといっても過言でなく、したがって、国家公共の目的のために課せられた損失という一面は否定できないとしても、その犠牲については、本来国家の補償の対象には当たらないというべきである。

そして、本件全証拠によるも、被控訴人が殊更我が国のソ連に対する役務賠償の一環として日本人将兵を荒廃した極寒の地であるシベリアでの強制労働に服せしめたと認めるに足りないし、その他控訴人らが指摘する点を考慮しても、控訴人らの被った損害は、敗戦という事実に基づいて生じた一種の戦争損害とみるほかはなく、右損害に対しては憲法二九条三項の適用の余地はない。

2  次に、控訴人らが終戦後ソ連の捕虜としてシベリアの収容所等に長期間抑留され、その間強制労働を課せられたことによって有形、無形の損害を被ったとして、ソ連に対し、同国内法上、何らかの請求権を取得したと仮定した場合に、日本政府がソ連との間で締結した日ソ共同宣言において、日ソ双方の国、団体及び国民のそれぞれ相手方に対するすべての請求権を放棄したことに伴い、控訴人らに憲法上、国家補償の対象となりうる何らかの損失が発生したといえるかどうかについて検討する。

日ソ共同宣言六項は「ソビエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソビエト社会主義共和国連邦は、一九四五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。」と定めているところ、仮に控訴人らがソ連に対し、ソ連国内法上何らかの請求権を取得したと仮定しても、日ソ共同宣言による請求権放棄の問題も戦争処理の一環として行われたものであることは明らかであって、その請求権の発生した当時、我が国の置かれていた状況、日ソ共同宣言の締結にあたりこれが放棄されるに至った経緯及び同宣言の規定の体裁等を合わせ考えると、その放棄に対する補償が憲法二九条三項の予想外にあったものとする点においては、基本的には、在外資産の放棄あるいは日本国との平和条約一九条(a)項の規定による請求権放棄等における場合と差異あるものとは到底認め難く、日ソ共同宣言による請求権の放棄による損害に対し、憲法二九条三項に基づいて国にその補償を求めることは許されないというべきである。

なお、前示日ソ共同宣言締結の経緯等に照らせば、所論の請求権が日本国全権団の故意過失による公権力の行使によって侵害されたものとはいえないことは論をまたない。

よって、控訴人らの右主張はいずれも理由がない。

四控訴人らの当審における新請求(貸方残高支払遅延の違法性)について

1  第二次大戦後の連合国による我が国の占領について

我が国は、昭和二〇年八月一四日ポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏をし、同年九月二日降伏文書に調印したことに伴い、降伏文書に基づく連合国による占領を受諾したことは公知の事実である。そして、連合国の占領管理下における日本国の統治権限及び日本国民の法的地位等については、基本的には右降伏文書によって規律されるところ、同降伏文書によれば、日本国政府は改めてポツダム宣言の条項を受諾することを宣明し(同文書一項)、一切の日本国軍隊及び日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告する(同二項)とともに、日本国民は、連合国最高司令官又はその指示に基づいて日本国政府の諸機関により課せられる一切の要求に応ずべきこと(同三項)、また、日本官庁の職員等は、連合国最高司令官が降伏条項実施のため適当であると認めて、自ら発し又はその委任に基づき発せしめる一切の布告、命令及び指示を遵守し、誠実にこれを施行する義務があった(同五項)。さらに、我が国は、ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること、及び右宣言を実施するため連合国最高司令官又はその他特定の連合国代表者が要求することあるべき一切の命令を発し、かつ一切の措置を執ることを約したこと(同六項)により、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、完全に降伏条項を実施するため適当と認める措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれることになった(同八項)ものである。すなわち、第二次大戦終結後、日本国憲法が制定・公布され、新憲法の精神に従い新たな国家体制の確立を目指して政治・経済・社会の諸制度に対する根本的な見直しや改革、国内法体制の整備等の各種作業が着々と進行しつつある一方で、我が国の国家機関及び国民は、その後平和条約が発効するまでの間は、依然として連合国による占領管理下に置かれ、最高司令官が降伏条項を実施するため自らの判断に基づき適当と認めて発する一切の命令指示については誠実かつ迅速にこれに服従する義務を課せられていたものであり、しかも右降伏条項を実施するに当たって具体的にいかなる措置が必要であるかの認定・判断権はすべて最高司令官に帰属し、我が国は右命令指示等を拒否したり、批判することは一切許されなかったのであるから、終戦後、日本政府の存在及び国家統治権限は一応認められたとはいえ、主権は大幅に制限されていたことは明らかであって、国際法的には、我が国はいまだ独立した国家とは程遠い存在であったといわざるを得ない。

2  連合国最高司令官の発する覚書の法的性格について

(一) 連合国の我が国に対する占領、管理の形態が、同じ敗戦国であるドイツの場合とは異なり、いわゆる統一的・間接的な占領・管理の方式がとられたことは周知の事実である。すなわち、日本管理のための最高政策決定機関として、アメリカのワシントン州に米英中ソその他主要連合国から成る極東委員会が設置され、一方、占領地である我が国には、占領政策の円滑かつ迅速な実現を図るため、唯一最高の執行権者として連合国最高司令官が置かれ、更にその諮問機関として米英中ソ四か国の代表者によって構成される対日理事会が付置された。

(二) 連合国最高司令官は、前記のとおり降伏条項を実施するにあたり必要であると判断したときには、日本国憲法の明文の定めとは全く無関係に法律上自由に自ら適当と認める措置をとることができ、日本政府はこれを実施することが義務づけられていた。すなわち、日本政府は、昭和二〇年九月二〇日勅令第五四二号「「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」をもって、『政府ハ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ連合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得』との旧憲法下の緊急勅令を制定し、同日施行したものである(なお、同日制定の勅令第五四三号「「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ノ施行ニ関スル件」によれば、右にいう命令とは、勅令、閣令又は省令をいう。以上の事実は、〈書証番号略〉によって認められる。)。

3  第二次大戦後における帰還日本人捕虜等に対する貸方残高の決済等について

(一) まず、連合国最高司令官総司令部が、第二次大戦終了後海外から帰還した日本人の持帰金や貸方残高の支払等に関して発した各種の覚書の内容及びその変遷並びにこれに対する日本政府の対応等についてみてみるに、〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(1) 我が国が、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して連合国に無条件降伏して以来、国の政治、経済、社会等に関する各種政策を始めとして、いわば国政全般にわたる諸条項に関し、連合国最高司令官総司令部(以下「総司令部」という。)が占領目的を実現するため必要であると判断して発した各種の指令等については、これを誠実に遵守することが義務付けられていたことは、先にみたとおりであるところ、総司令部は、昭和二〇年九月一七日、引揚邦人の持帰金に関し、一般人一〇〇〇円、将校五〇〇円及び下士官、兵二〇〇円を限度として円通貨の持込みを許可したが、終戦後外地から帰還する日本人が通貨等を無制限に持ち込むことによって我が国の通貨体制等が混乱することを防止するため、新たに占領下における我が国の通貨等の輸出入の管理に関する統一的、基本的な定めを設ける必要があると判断し、同月二二日、日本政府に対し、「金銀及び有価証券並びに金融証書の輸出入に関する管理」と題する覚書を発し、大蔵大臣の許可がある場合を除いて、日本国民が(a)金貨若しくは銀貨、(b)金地金、銀地金若しくは白金地金又は地金のそれらの合金、(c)通貨及び有価証券、(d)小切手、為替手形、約束手形、支払命令、送金命令、その他の金融証書、(e)日本国内外における金融取引、資産取引を行わしめる委任状、代理権限証書その他の授権ないし指示書、(f)上記以外の財産の所有権又は負債の証書を輸入又は輸出することを全面的に禁止し、そのための法改正その他必要な措置をとることを指示するとともに、大蔵大臣は総司令部の事前の承認がない限り右の許可をしないよう命じた。

(2) 右覚書の趣旨は、要するに、荒廃した我が国の経済体制の復興と早期の立ち直りを図り、もって占領目的を達成するため、我が国の対外的経済取引を原則として全面的に禁止するものであって、一時的とはいえ、終戦後の日本経済を世界から隔絶させる政策を採用したものであり、前記のとおり被占領国である我が国としては、本来であれば直ちに外国為替に関する取締法規である旧外国為替管理法(昭和八年法律第二八号)及びこれに関連する諸法令を改正するなどして右覚書に対応した国内的措置を講ずる必要があった。しかしながら、当時右の措置をとるだけの時間的な余裕もなかったことから、日本政府は、旧外国為替管理法一条及び昭和二〇年勅令第五七八号「金、銀若ハ白金ノ地金又ハ合金ノ輸入ノ制限又ハ禁止等ニ関スル件」一条の規定に基づき、昭和二〇年一〇月一五日、「金、銀、有価証券等の輸出入等に関する金融取引の取締に関する」大蔵省令第八八号を制定・公布し、右覚書掲記の通貨、貴金属、金融証書及び委任状等の輸出入をすべて大蔵大臣の許可制とする(同省令一条)とともに、本邦居住者が終戦前から所有し、又は管理している在外財産及び外国居住者が昭和一六年一二月七日以降直接又は間接に所有し、又は管理する本邦内の財産に関する取引その他外国為替取引を制限した(同省令二条)ほか、大蔵大臣は、必要があると認めたときは、事項又は人を指定して同省令に定める取引の制限を免除することができるものとし、なお必要があると認めたときは右の免除をしたこと、及びその後これを廃止、変更したことを告示するもの(同省令七条)とされた。

(3) その後、総司令部は、日本政府に対し、昭和二〇年一〇月一二日、「輸出入管理に関する補足的指示」と題する覚書を発し、右九月二二日付け覚書による輸出入の規制を緩和し、日本政府は、日本に帰国する日本人が、将校につき最高五〇〇円、民間人につき最高一〇〇〇円の円通貨を持ち込むことを許可することができるとし(なお、持込みを許された円通貨が台湾銀行券若しくは朝鮮銀行券であるときは、政府は上陸港において日本銀行券と交換する。)、右の額を超える円通貨を含む前記覚書に掲記されているその他すべての品目については、預り証と引換えに取り上げて総司令部の指示があるまで安全に保管することを命じた。

そして、総司令部は、同年一二月一三日、「日本人帰還者に対する救済支払」と題する覚書を発し、日本政府が、帰還した日本人に対し、一人当たり一〇〇〇円を限度として支払をなすことを承認した。

また、総司令部は、日本政府に対し、昭和二一年一月四日、「日本人帰還者による日本国々庫債券の輸入」と題する覚書を発し、右九月二二日付け覚書による輸出入の規制を更に緩和し、日本政府は、日本に帰還する日本人が日本円表示の国庫債券を持ち込むことを許可することができることとし、ただし、持込みが許される範囲は、債券及び円通貨の合計が将校につき最高五〇〇円、下士官及び兵につき最高二〇〇円、民間人につき最高一〇〇〇円を超えてはならないとされた。

(4) 総司令部は、日本政府に対し、昭和二一年二月八日、「帰還者によって日本に持ち込まれた通貨及び財政手段について」と題する覚書を発し、日本に帰還する戦時捕虜が抑留期間中に支払われるべきであった収入金については、従前の持込み制限の例外として取り扱うことを認めたが、右覚書の要旨は、次のとおりであった(以下単に「二月八日付け覚書」とのみいうこともある。)

「1 昭和二〇年一〇月一二日付け及び同二一年一月四日付けの各覚書を参照

2a  帰還日本人は、右一〇月一二日付け覚書の第二項の制限範囲内で円通貨、円兌換証書及び日本政府の円債券を任意の組合せで携帯して持ち込むことが許される。

b 右の持込みに関する一般的制限の例外として、日本に帰還する日本人旧戦時捕虜は、彼らが捕虜として拘束されていた期間中に支払われるべき収入金の総額に相当する円通貨、円兌換証書及び債券を更に追加して持ち込むことができる。

3  2bの例外的措置は、旧戦時捕虜であったことを証明し、かつ、戦時捕虜としての所得であることを立証するような証明書を所持していることが条件となる。」

そして、日本政府は、右の覚書の趣旨を実施するため、昭和二一年三月五日、大蔵省告示第一一三号(その後告示第九六号に訂正)を公布し、次に掲げる場合においては、外国為替管理法施行規則(昭和一六年大蔵省令第一〇号)又は前記大蔵省令第八八号の規定による制限及び報告を免除した。

「一 本邦ニ帰国スル今次ノ戦争中俘虜タリシ本邦人ガ其ノ俘虜タリシ期間中ノ収入金ニ相当スル本邦通貨、本邦通貨ヲ以テ表示スル為替証書又ハ本邦通貨ヲ以テ表示スル本邦国債証券ノ携帯輸入ヲ為ストキ但シ輸入ヲ為ス際海運局官吏ニ其ノ身分及収入金ニ関スル証書ヲ呈示スルコトヲ要ス

二 前号ニ依リ輸入シタル本邦通貨ヲ以テ表示スル為替証書ニ付上陸港最寄ノ日本銀行(本店、支店又ハ代理店ヲ謂フ以下同ジ)ニ於テ支払ヲ受クルトキ但シ支払ヲ受クル際日本銀行ニ前号ノ身分及収入金ニ関スル証書ヲ呈示スルコトヲ要ス

三  日本銀行ニ於テ第一号ニ依リ輸入サレタル本邦通貨ヲ以テ表示スル為替証書ノ支払ヲ為ストキ」

また、日本政府は、同月二三日大蔵省告示第一五三号を公布し、前記の制限及び報告を免除する場合の対象範囲を次のとおり拡大した。

「一 昭和二一年一月六日汽船琉球丸ニ依リテニアン島ヨリ本邦ニ帰還シタル本邦人(軍人及び軍属ヲ除ク)ガ其ノ携帯シタル連合国軍ノ発行ニ係ル米国通貨ヲ以テ表示スル現金預リ証ニ付日本銀行ノ本店又は支店ニ於テ支払ヲ受ケルトキ但シ一人ニ付千円相当額ヲ限度トス

二  日本銀行ノ本店又ハ支店ガ前号ノ米国通貨表示現金預リ証ニ付支払ヲ為ストキ但シ一人ニ付千円相当額ヲ限度トス」

(5) 総司令部は、日本政府に対し、昭和二一年三月一〇日、「オーストラリア、ニュージーランド及びその他の地域からの帰還者に対し発行される通貨受領書」と題する覚書を発したが、右覚書の要旨は、概要次のとおりであった。

「一 昭和二〇年一〇月一二日付け及び昭和二一年二月八日付け各覚書を参照。

二  オーストラリア、ニュージーランド及び米国管轄区域外の東南アジア地域から帰還する日本人民間人及び旧戦時捕虜を含む軍人は、日本へ向かう乗船時に所持金全額及び彼らの受け取るべき貸方残高に対する受領書を受け取っている。関係地域当局は、受領書の表面に可能な限り現地通貨額に相当する円の額を記載するよう要請されている。その他の受領書には、オーストラリア、ニュージーランドその他の現地通貨の額のみが記載されている。

三  日本帝国政府が第二項で述べた帰還者に対し、参照覚書に述べられている限度の範囲内で支払を行うことを許可する。

四  帰還者が所持している受領書は、集めて安全に保管する。」

そして、日本政府は、右覚書の趣旨を実施するため、昭和二一年三月三一日大蔵省告示第一七八号を公布し、前記大蔵省告示第一一三号による外国為替管理法施行規則又は大蔵省令第八八号の規定による制限及び報告を免除する場合について、次のとおりその対象範囲を拡大した。

「一 豪州、新西蘭及東南亞細亞地区(北米合衆国ノ管轄地区ヲ除ク)ヨリ本邦ニ帰還スル本邦人(一般人及陸海軍軍人軍属並ニ此等ノ者ニシテ今次戦争中俘虜タリシ者ヲ含ム)ガ其ノ携帯輸入セル連合国発行ノ右地区ノ通貨ヲ以テ表示シタル現金預リ証ニ依リ日本銀行ノ本店支店又ハ上陸地ニ在ル代理店ニ於テ一人ニ付左ノ金額ノ支払ヲ受クルトキ但シ俘虜タリシ者ニ付テハ俘虜タリシ期間中ニ於ケル収入金ニ付左ノ金額ヲ超エ其ノ支払ヲ受クルコトヲ得

一般人(軍属ヲ含ム) 千円相当額以内

軍人 将校 五百円相当額以内

下士官以下 二百円相当額以内

二 日本銀行ノ本店支店又ハ代理店ガ前号ニ依ル支払ヲ為ストキ」

(6) 総司令部は、海外在留邦人の引揚その他我が国に対する占領政策を円滑に遂行するため、これまで必要に応じて随時発してきた各種の覚書等による司令を整理・統合する必要があると判断し、昭和二一年三月一六日付け覚書により、日本政府に対し、改めて太平洋米陸軍司令長官、太平洋方面司令長官、中国陸軍総司令官、東南アジア連合国最高司令官、豪州陸軍総司令官及び極東「ソヴィエト」軍総司令官(ただし、当時はソ連との間において引揚げに関する協定が締結されていなかったため、「適当なる協定が締結された時点において」と留保されたが、その後昭和二一年一二月一九日に対日理事会のソ連代表と連合国最高司令官との間で協定が成立した。)の各支配下にある軍政地区よりの日本国民等の引揚げに関する一般的かつ基本的な方針を定めた指令を発した。同覚書は、第一(旧日本軍占領地の日本人引揚及び日本よりの非日本人引揚に関する一般方針)、第二(引揚者処理の為めの受入事務所)、第三(日本よりの及び日本への引揚)、第四(給与及び輸送)、第五(医療及び衛生措置)、第六(通貨、有価証券、その他書類及び所持品)、第七(雑)及び第八(抹消すべき覚書)の各付属文書から成り立っており、今後の引揚げ等に関する基本指令は、本覚書の追加ないしは修正の形式で発せられることとなり、また、付属第八に列挙された各覚書等に含まれた従前の指令は、本覚書における指令に代置されることとなった(以下単に「三月一六日付け覚書」とのみいうことがある。)。右付属第六(通貨、有価証券、その他書類及び所持品)によれば、引揚者の持帰金の規制に関しては、次のとおり定められていた。

「二 日本帝国政府は日本に引揚げたる邦人に対しては、

a  左記の通貨及び日本政府公債の持込みを許可すべし。

1 日銀券及び号表示補助通貨、但し左の金額を超ゆるを得ず。

(一) 将校 五〇〇円

(二) 下士官兵 二〇〇円

(三) 一般人(軍属を含む) 一〇〇〇円

2 前記a1以内の金額に依り現金に代わるべき日本円表示の現金預り証にして北支乗船港復員司令官の発給せるもの。

3 前記a1の以内の金額に限り、日銀券又は現金預り証に代わるべき日本円表示日本政府公債

b  日銀券、現金預り証及び日本政府公債は引揚者全部が持帰り得るも、俘虜は右の外俘虜として抑留中得たる報酬に相当する金額を持ち帰ることを得

cないしe(省略)

f(一) 各人宛保管書と引換に左記のものを保管すべし。

(a) 前a1の限度を超える一切の通貨、現金預り証、送金手形、日本政府公債

(b)ないし(e)(省略)

(f) 其の他右に列挙し居らざる一切の債務証書又は財産所有証書

(g) (省略)

以下(省略)

なお、同覚書中の付属文書第八のなかには、前記二月八日付け覚書は掲記されてはいなかった。

(7) また、日本政府は、総司令部の昭和二一年三月二八日付け覚書を受けて同年四月一九日大蔵省告示第二九七号を公布し、前記大蔵省告示第一一三号による外国為替管理法施行規則又は大蔵省令第八八号の規定による制限及び報告を免除する場合について、次のとおりその対象範囲を拡大した。

「一 外国ヨリ本邦ニ帰還シタル本邦人(一般人及陸海軍軍人、軍属並ニ此等ノ者ニシテ今次戦争中俘虜タリシ者ヲ含ム)ガ其ノ本邦ニ向ケ出発前ニ連合国ヨリ発行ヲ受ケタル米国通貨表示ノ現金預リ証ニ依リ日本銀行ノ本店、支店又ハ上陸地所在代理店ニ於テ一人ニ付左ノ金額ノ支払ヲ受クルトキ但シ俘虜タリシ者ハ俘虜タリシ期間中ニ於ケル収入金ニ付テハ左ノ金額ヲ超エ其ノ支払ヲ受クルコトヲ得

二 (以下は前記大蔵省告示第一七八号とほぼ同一)」

(以上の告示が公布されたことは当事者間に争いがない。)

(8) 総司令部は、昭和二一年五月七日付け覚書により、三月一六日付け覚書中の付属文書第六の「二のb」を「2のb すべての帰還者に対し持込みが許されている額の円通貨、交換証券、日本政府債券に加えて、日本人戦時捕虜には、戦時捕虜として抑留されている間に彼らに支払われた額又は彼らが積み立てた額に相当する付加額を持ち込むことを許可する。」と訂正されたが、同付属文書第八のなかには、前記二月八日付け覚書は掲記されてはいなかった(以下単に「五月七日付け覚書」ということがある。)。

その後、日本政府は、昭和二三年六月八日、蔵管々第三九二号をもって、引揚邦人持帰り金の交換(支払)制度における持帰り金の限度を超えて輸入、交換(支払)を認める対象として、英軍の占領下に作業に従事した者が持帰るその労務報酬として英軍から公布された個人計算カードを認めた。

(9) 以上のとおり、我が国は、終戦後の数年間、連合国の占領管理下に置かれ、連合国の占領政策の一環として発せられた各種覚書について、大蔵省告示という形式で順次実行に移してきたものであるが、昭和二四年ころには、漸く経済政策も効を奏し、我が国の経済体制も終戦直後の混乱期を脱して、安定化傾向に進み始め、自立に向けて新たな外国為替制度等を確立するに十分な条件が整ったことから、日本政府は、右に備えて、同年六月一四日大蔵省告示第三七三号により、従前の外国為替管理に関する連合国の覚書を実施するため定めた特例措置である前記大蔵省告示第九六号、第一五三号、第一七八号及び第二九七号をいずれも廃止した。なお、同年一二月一日外国為替及び外国貿易管理法(同年法律第二二八号)が成立したことに伴い、日本政府は、同日、大蔵省告示第九六七号を制定・公布し、前記外国為替管理法施行規則九四条及び一〇〇条又は大蔵省令第八八号の七条の規定により、次に掲げる事項については、昭和二四年一二月五日から同月二六日までの間、これらの省令による制限及び報告を免除するものとした。

(ア) 昭和二四年六月二日以前に外国から本邦に帰還した本邦人(一般人、陸海軍軍人及び軍属をいう。以下同じ)が、その携帯輸入した連合国又は連合国軍の発行に係る外国通貨をもって表示した現金預り証(カナダ政府発行の現金又は財産預り証を除く)若しくはこれに準ずる証書又は個人計算カードによって、日本銀行の本店又は支店から、左の各号の一に掲げる金額(持帰金交換限度)からすでに支払を受けた金額を差し引いた残額の支払を受けるとき。ただし、外国通貨に対する本邦通貨の換算率は、別表の通りとする。

ア 一般人及び軍属 千円相当額以内

イ 将校 五百円相当額以内

ウ 下士官以下 二百円相当額以内

エ 今次の戦争中抑留され連合国又は連合国軍の下に労務に服したものが労務期間中に得た収労金については、前3号にかかわらずその金額

(イ) 昭和二四年六月二日以前に外国から本邦に帰還した本邦人が、その携帯輸入した本邦通貨をもって表示した現金預り証又はこれに準ずる証書によって、日本銀行の本店又は支店から、持帰金交換限度からすでに支払を受けた金額を差し引いた残額の支払を受けるとき。

(ウ) 日本銀行の本店又は支店が前2号の規定により携帯輸入された現金預り証若しくはこれに準ずる証書又は個人計算カードにより支払をするとき。

(二) 次に、日本政府が、終戦後海外から帰還した日本人に対し、前記各覚書や告示等に基づき、その所持する現金預り証等により現実に支払をなした状況や経緯並びに右の支払に関する総司令部との折衝の経過等についてみてみるに、〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 日本政府(連絡中央事務局)は、昭和二一年四月一日にグアム島から浦賀に帰還した日本人捕虜約一〇〇名の代表者から、同人らがグアム島を出発する際、連合国より抑留中の収入金に関する文書は別途東京に送付すると言われていたので、帰還捕虜が前記二月八日付け覚書に従って抑留中の右収入金の支払を得られるよう、右労賃表の写しの送付方を要請してほしい旨の申請を受理したことから、同年五月二七日、総司令部に対し、右収入金の支払が実現され得るよう右文書の提供方の配慮を要請する覚書を発した。

総司令部は、日本政府に対し、同年六月一三日、「帰還戦時捕虜の賃金について」と題する覚書を発し、グアム島から帰還した日本人戦時捕虜六七名に対し、五月七日付け覚書の付属書Ⅵの第2b項の制限の範囲内において、同人らに支払われるべき米ドルに相当する日本円を、添付した表に従って支払うことを許可した。

(2) 日本政府(連絡中央事務局)は、総司令部に対し、昭和二一年六月二七日、覚書を発し、最近送還された日本人捕虜の多くが抑留中得た収入金の代わりにアメリカ当局発行の書類を所持して帰国しているが、右書類にはアメリカ又は日本の通貨の合計高が明示されていないため、右書類に基づいて支払をすることができないので、添付された日常作業記録に記載された点数の計算基礎並びに熟練労働及び未熟練労働に対する毎日の支払高を明らかにするよう要請した。

(3) 日本政府(連絡中央事務局)は、総司令部に対し、昭和二一年七月一七日、「被保護人員の賃金について」と題する覚書を発し、オーストラリアに収容されていた日本人元医務軍曹から、同人が本国に帰還後、右抑留帰還中の労働に対する対価として自己が得た賃金に関する勘定表を日本銀行に提示して支払方を求めたところ、右勘定表中の「戦時捕虜」という文字が抹消され「被保護人員」という文字が残っていたため、持帰金限度額である一〇〇〇円を超える部分の支払を拒否された。しかしながら、同軍曹は、医療人員に属していた関係で現地では戦時捕虜ではなく、国際赤十字規則に従って被保護人員と呼称されていたにすぎず、実際には戦時捕虜収容所に抑留されていたのであるから、右勘定表記載の賃金全額の支払を受け取る資格がある旨の申立てがなされたので、右勘定表記載の賃金三〇〇オーストラリアポンド一五シリング全額に相当する日本円を支払うべきか否かについて指示方を要請した。

これに対し、総司令部は、日本政府に対し、同年八月二六日、「ヤスタロウ・ヤマモトに対する戦時捕虜賃金の支払いについて」と題する覚書を発し、右日本人軍曹に対する勘定表記載の未払残高については、五月七日付け覚書の付属書類Ⅵ、第2b項の条文に従って、証拠書類の提示と引換えに支払うことを許可するとともに、なお、今後同軍曹のような「被保護人員」についても、他の戦時捕虜の場合と同様に取り扱うべき旨を指示した。

(4) 日本政府は、総司令部に対し、昭和二一年一〇月二九日、「南方和蘭軍地区作業隊の帰国促進及び待遇向上に関する件」と題する覚書を発し、当時東南アジア地区のフランス軍占領地域に作業隊として残留していた日本人将兵一万三五〇〇名の帰国の促進と、食料・衣料事情、医療衛生・労働状況及び通信等には種々の問題があるため待遇の改善・向上方を関係方面に働きかけるよう要望したが、その際、米軍管下の地域においては、作業に対する労賃として旧階級及び技術の種類に応じて一定の賃金が支払われているのに、右地域では支払が行われていないことが指摘されている。

(5) 日本銀行は、昭和二一年一二月、国庫局長名で支店長、事務所長宛に「戦時中俘虜であった者が持帰った連合軍発行の現金預り証の支払について」と題する通知(昭和二一年一二月一六日国丙一五七号)を発し、戦時中俘虜であった者が持帰った連合軍発行の現金預り証の支払については今後別記要領によって行う旨を指示した。そして右通知書中の「俘虜であった者の持帰金支払要領」によれば、戦時中俘虜であった者に対する支払の手続は次のとおりであった。

(ア) 俘虜であった者がその俘虜期間中の収労金の支払を受けようとするときは、連合軍発行の現金預り証とその金額の受取希望先(日本銀行本店又は支店、以下「日本銀行」という。)等を記入した書類を、当時の所属軍隊(陸軍、海軍)及び階級に従い、それぞれ本籍地の地方世話部、第二復員局経理部又は地方復員局経理部(以下「復員局」という。)に提出又は書留郵便で送付する。

(イ) 右書類の送付を受けた復員局は、俘虜期間に応ずる本人の給与その他の支給額を調査し、給与等支給済額証明書を作成したうえ、連合軍発行の現金預り証とともに、これを支払を希望する日本銀行へ送付する一方、受取人に対しては日本銀行から支払通知があったときには、引揚証明書又は復員証明書を日本銀行に呈示して支払を受けるよう通知する。

(ウ) 日本銀行は、右現金預り証により持帰金の支払をなす場合には、持帰金が米貨その他の通貨で表示されているときは、指定の換算率により支払額を算出し、給与等支給済額証明書の金額と比較し、余剰の存するときはその金額を本人に支払うこととし、なお、右金額が持帰金支払限度額を超過するものは封鎖支払とする。また、給与等支給済額証明書の金額が現金預り証の金額より多額なるときは支払をなさず、その旨を本人に通知すること、ただし、引揚証明書等により持帰金支払限度額に達するまでの支払を受けていないものには限度額までの支払をなす。

(6) 総司令部は、日本政府が、昭和二二年一月二九日付けで、帰還した日本人戦争捕虜のうち、その抑留帰還中労働で得た円の総額の代わりとして、労働日数を表記した証明書を所有している引揚戦時捕虜に対して支払が円滑に行われるようにする方法を要請しているのに対し、同年二月一二日、「戦時捕虜の所得」と題する覚書を発し、米国陸軍支払規定は、元戦争捕虜の各自の名において、支払われるべき総金額を明らかにすべく現在準備中であり、右書類を受領次第大蔵省に送付する旨回答した。

(7) ところが、ソ連領土又はソ連管理地区から引き揚げてきた日本人の大半が、ソ連当局から帰還する際に前記ソ連地区引揚米ソ協定第六節の第三項の規定に基づき日本に持ち帰ることを許された通貨や証券類の金額等の細部について全く知らされていなかったことが判明したことから、日本政府(連絡中央事務局)は、右ソ連の地方当局が前記規定の趣旨について十分指示を受けていないことに起因するものと判断し、日本人の利益を保護するため、昭和二二年三月七日、総司令部に対し、「ソ連もしくはソ連管理地区から引揚げた日本人の持ち帰った通貨及び証券等」と題する覚書を発し、総司令部においてソ連当局に対し、引揚日本人全員に対して右規定内容を通知する一方、併せて次の内容の措置をとるよう働きかけることを要請した。

「a 日本人引揚者は、前記協定に定められた限度までの円貨以外の通貨及び円貨表示の日本政府債券のほかに、(1) 郵便局通帳 (2) 日本陸・海軍の野戦郵便局通帳 (3) 日本の金融機関発行の銀行預金通帳 (4) 簡易生命保険証書、郵便局年金証書、日本の会社発行の保険証書並びに日本の金融機関発行の個人的書類といった、日本で支払可能の証券類の持ち帰りが許可される。

b  ソ連当局が前記規定に定められている限度を超えた通貨及び日本政府債券、外貨並びに日本人引揚者の私物を取り上げているときは、個々に正式の受領証を発行する。

c  前記a項でいう証券類及びその他の個人的書類がソ連当局により日本人引揚者から取り上げられているときは、それら物件は個々の所有者に最終的に返還できるよう日本政府に引き渡される。

d  ソ連当局がソ連領土ないしソ連管理地区における日本人の移動の不可能な財産を収用しているときは、収容を立認する証明書を旧所有者の日本人に与える。」

さらに、前記ソ連地区等から帰還した引揚者、旧日本軍人及び軍属の報告によれば、ソ連当局は、戦時捕虜として抑留中の日本人から貯金あるいは私物を没収する事例が多いということが判明したことから、日本政府(連絡中央事務局)は、総司令部に対し、同月一八日、「ソ連領土ないしソ連管理地区における戦時日本人捕虜の所得及び個人的金銭」と題する覚書を発し、総司令部においてソ連当局に対し、「a 旧日本人及び軍属が戦時捕虜として抑留中の間貯めた金銭及び私物は没収されてはならない。b 引揚時に前記金銭が取り上げられた場合には、正式な受領証を発行すべきである。」との措置をとるよう働きかけるとともに、併せて新たに本件に関連して次の内容の提案をし、ソ連当局の承認を得られるよう尽力方を要請した。

「a 日本政府は、日本人引揚者がソ連当局発行の前記b項記載の受領証を持ち帰った場合には、ソ連政府に代わって支払を実行する。

b 日本政府が右引揚者に対して前項の受領証に対する支払を実行したときは、毎月ソ連政府に対して総司令部を介してその旨の報告書を送付する。

c  上記支払金額は、ソ連領土ないしソ連管理地区からの物品の将来の輸入及びその他の目的のため引き当てる。」

(8) 日本政府は、昭和二二年六月五日、当時の大蔵省財政局外国資金課長名で総司令部経済科学セクション財政部金銭金融係長に宛て、フィリピンのルソン島に戦時捕虜として抑留され、その後帰還した六三名の日本人から、アメリカが発行した日常作業記録を接収したので、総司令部の要請に従ってこれを送付するにあたり、同記録に添付された書類によると、右の日本人はいずれも労働賃金の支払を受けていないようなので、その調査方を依頼したところ、総司令部は、日本政府に対し、同年九月一三日、「軍事捕虜であった者に対する支払について」と題する覚書を発し、右の日本人は身分証明書を持参のうえ、総司令部第二四〇財政支払課に本人が出頭すれば、支払を受けることができる旨回答した。

しかしながら、日本政府は、右日本人の多くが東京から遠隔の地に居住していることを配慮して、総司令部に対し、ディスバージング・オフィサーが右合計金額を一括して日本政府に支払い、日本政府において日本銀行を通じて受領者各人に支払うことができるよう代替的方法を要請した。

(9) 日本政府は、総司令部に対し、昭和二三年五月四日付け覚書をもって、三月一〇日付け覚書によれば、イギリスが日本人降伏者に対し発行した個人計算カードの支払は引揚邦人持帰り金の制限内で認められているが、イギリス占領下で作業に従事し、個人計算カードを所持する日本人は、極めて厳しい労働に従事したこと、また、インフレのため最近物価が高騰したことの二つの理由により、個人計算カード記載全額を支払うことが望まれるとして、その許可を申請するとともに、許可が得られたならば、日本政府は、本件支払が最終的にはイギリスにおいて負担されることを希望する旨申し入れた。

右申し入れに対し、総司令部は、日本政府に対し、同月二四日、捕虜に対しその抑留期間中同人らに支払われるべき金額を追加して支払うことができることを除いては、持帰り金の制限内においての支払が認められること及び日本政府が支払った金額は、日英政府間の戦後決済の一部を構成するものであって、決済時点において、イギリス政府は、日本軍に捕らえられたイギリス人捕虜に対して支払われるべき金額について反対請求権を持つものである、と回答した。

(10) いわゆる森永文書第二五号によれば、日本軍人が捕虜期間中に得た就労金に対して連合国側が発行した現金預り証については、指令に基づき日本政府は持帰金としての支払を行ってきたが、英軍発行の個人計算カードの支払と全く性質が同じものであるから、当然それぞれ現金預り証発行該当国に対して求償権を有するものと考えると記述されている。右記述に照らすと、当時、日本政府としては、戦時帰還捕虜の抑留中の労賃の貸方残高については、抑留国に支払義務があるとの認識の下に支払措置を講じていたというべきであろう。

4 控訴人らの主張

控訴人らは、総司令部が占領政策の一環として、日本政府が帰還日本人捕虜の抑留帰還中の労賃について全額これを支払うことを許可する旨の特例措置を認めた二月八日付け、三月一六日付け及び五月七日付けの三つの覚書の文言等の相違や右覚書に基づく日本政府の貸方残高の決済状況等を取り上げ、被控訴人は、貸方残高等を立証するに足りる文書等を所持しない戦時帰還捕虜に対しても、右貸方残高を決済すべき義務があったと主張する。

まず、控訴人らの指摘する右三つの覚書の関係等について検討するに、確かに、前記特例措置を認める前提として、二月八日付け覚書が条件とした「戦時捕虜としての所得を立証するような証明書を所持すること」との要件が、その後、日本国民等の引揚げ等に関する基本的かつ一般的な指令たる性格を有する三月一六日付け及び五月七日付けの各覚書には明示されていないことは控訴人らの主張するとおりである。しかしながら、右各覚書の内容等を彼比検討するも、右「所得を立証するような証明書の所持」という要件を積極的に除外する意図は全く窺われず、また、右三月一六日付け及び五月七日付けの各覚書において、右二月八日付け覚書による指令が代置される旨の記載もないことからすると、むしろ捕虜の貸方残高の内容等についての誤解を避けるため、日本政府が戦時帰還捕虜に支払うべき貸方残高の対象を明確化したにすぎないものとみるのが相当である。

次に、控訴人らは、戦時帰還捕虜の貸方残高の決済に関してなした日本政府のいくつかの運用例を指摘し、貸方残高証明書等の書類を所持しない戦時帰還捕虜に対しても被控訴人は労賃支払義務があったものであると主張している。

しかしながら、先に詳細に認定したとおり、控訴人らが自己に有利に援用する日本政府の運用例も、いずれも一応所得を証明する資料を有しているものの、書類が不備ないし不十分であったため、支払の正確性ないし確実性を期するため、総司令部を通じて念のため事実関係を明らかにしたものにすぎず、また、前記3(二)(1)のグアム島からの帰還者の事例も、抑留国から日本政府あて収入金に関する文書を別送する手はずで帰国したところ未着であったため、総司令部を通じ同文書の送付を要請したという例外的な事例であり、右の運用状況から、直ちに日本政府が前記「戦時捕虜としての所得を立証するような証明書を所持すること」との条件を撤廃し、控訴人らが主張するように戦時捕虜としての所得に関し大蔵大臣に職権調査義務を課したものと解するのは困難であるというべきである。

5 まとめ

以上みてきたところから明らかなように、我が国は、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏をして以来、連合国との間で平和条約が締結されるまでの数年間、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従い、経済復興と民主国家の建設に向け邁進を続けてきたものであり、日本政府及び統治機構は一応存在していたものの、占領目的の実現という名の下に政治・経済・文化等のあらゆる面において、連合国による種々の厳しい規制を受け、法的・政治的にみれば、いまだおよそ独立国家としての地位と権限を有するまでには至っていなかったといわざるを得ない。終戦後、世界各地から日本へ引き揚げてきた一般人を始めとして軍人、軍属のほか、更に控訴人らのように終戦後数年間捕虜として連合国の占領地域等に抑留されていた者等合計数百万人の日本人が順次帰国するに及んで、右引揚者らが持ち帰る通貨や金、銀等の貴金属類あるいは有価証券類等の各種の財政手段等が無制限に我が国に流入し、その結果、終戦直後における通貨、経済体制の混乱状況に一層の拍車をかけ、我が国の経済復興にとって重大な支障を与えるおそれがあったため、当時我が国を占領管理していた連合国は、とりあえず通貨や貴金属、有価証券類等の財政手段の輸出入等を原則として全面的に禁止するとともに、貿易等の対外的経済取引をも停止するという緊急非常措置を講ずる一方、我が国の経済体制が次第に安定するに従って、引揚者らの利益等をも十分考慮しつつ、徐々に右各種制限を緩和するという政策を採用したものである。そして、本件において問題となっている捕虜の貸方残高の決済等に関する我が国の対応状況の実態や責任を論じるにあたっでは、結局当時日本の置かれた現状、すなわち連合国の占領政策の一環である経済・財政政策との関連性及び位置づけを十分考慮する必要があるものというべきところ、すでにみてきたように、連合国は、終戦後の数年間、長期の戦争により混乱した我が国の経済体制の立て直しを図るため、引揚者の持帰り金等については、一般人、軍人・軍属及びその階級等に応じて一律に一定の制限を設けるとともに、戦時捕虜にあった者については、特に一定の制限の下、すなわち、「戦時捕虜としての所得を示す証明書」を所持するものに限り、その貸方残高の決済を許可したにすぎないことが明らかであり、占領下にあって連合国の占領政策を誠実に遵守すべき立場にあった我が国としても、抑留国から右資料が示されたものについては、抑留国に代ってその支払措置を講じたものにすぎず、それ以上に控訴人らの主張するように、我が国が国際法上の義務として日本人戦時捕虜の抑留中の貸方残高を決済すべき義務と責任を果たす趣旨で、戦時捕虜の貸方残高を決済していたものとまで認めることは困難といわざるを得ない。そして、前記3(二)(7)で認定した事実に弁論の全趣旨を合わせると、日本政府が総司令部に要請したにもかかわらず、シベリア抑留者に対してはソ連当局から何ら所得を立証するような資料の交付も提示もなかったことが明らかであり、昭和二四年一一月には外国為替及び外国貿易管理法が制定・公布されるに及んで右特例的な取扱いも原則として廃止されるに至り、その後、我が国が第二次大戦における日本人戦時捕虜の貸方残高の決済に関する法的責任を肯認したり、これを容認する法令を制定したことを認めるに足りる証拠もないのであるから、いずれにしても、被控訴人が控訴人らシベリア抑留者に対する貸方残高の決済をすべき法的義務があったことを前提とする控訴人らの主張は、結局採用することはできないというべきである。

また、前認定の事実によれば、大蔵大臣による帰還捕虜に対する貸方残高支払に関する取扱いの差異は、所得を立証する資料の所持の有無により生じたものであることが明らかであり、殊更シベリアからの帰還捕虜を異別に取扱ったものではないから、控訴人らの裁量権の踰越ないし濫用の主張も理由がない。

第四結論

以上によれば、控訴人らの本訴各請求及び当審における新請求はいずれも理由がなく、右本訴各請求を棄却した原判決は相当であるから、控訴人らの本件各控訴及び当審における新請求をいずれも棄却することとし、控訴費用(当審における新請求に関する部分を含む。)の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官時岡泰 裁判官大谷正治 裁判官板垣千里)

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